陰蝕の鬼 - 五拾壱 -



何事か気配に気づいて顔をあげると、二人の男が真砂を見下ろしていた。
身形りは山師か浮浪者のようだった。
酒臭さと、獣の皮ような奇妙な匂いが鼻についた。
男達はひどく酔っているようだった。
真砂が身の危険を察するより前に、男の手が伸びてきて、
真砂の口を塞ぎ、鳩尾に一発くれると、抵抗する隙きも与えず瞬く間に担ぎ上げ、
躊躇いなく連れ去った。





真砂が連れて行かれた先は、現世に転じた地獄だった。
怪しい風体の男がさらに二人。
男達の手際は早かった。
すぐさま、真砂の喉を潰し、逃げられぬようにと足を折った。
着ていた着物の贅沢さから、どこかの店の子息と踏んで、
身代金目的に攫って来たが、真砂が役者の類とばれ、
金蔓としての見込みがないとわかると、
鼠や猫をいたぶるように玩弄し、果てに殺した。


男達の一人が、酔いの戯れに真砂の耳を削ぎ、指を切り落とした時、
真砂は一刻も早く、死が自分の元に訪れることをひたすら願った。


凍えるような寒い日も、悴む手に懸命に息を吹きかけ、
棹を握らせ撥を持ち、芸を仕込んだ指だった。
例え唖でも足萎えであろうとも、三味線、琵琶さえ握れれば、
なんとか生きていく道もある。
だが指を失ったら、たとえこの後、命があったとしても、
もう真砂には、生きていく術はない。
それでも不自由な身体で兄の荷物となって生き延びられると思えるほどには
真砂の知る世間は生易しくははかった。


―  これは罰だ。罰があたったのだ。
   人を恨んだ罰、人を呪うた罰。
   欲深さ、傲慢さへの罰。


だが、それだけの償いにしては、あまりにもそれらは苛烈だった。
永遠とも思える責め苦と、痛みの果てに
ようやく暗がりが訪れた時、真砂はその黒い陰に一心に目を凝らした。


『…早う、早うここへ』

真砂は呼びかけた。


あれが死だ、と真砂は思った。
夜のように黒々として暗く深い大きな闇。
神や御仏への頼みも知らぬ真砂にとって、
ただひとつ理解できる死の形がそれだった。


『…早う』


暗闇は、真砂に近づいてくると言った。


―  もう一度、お前の兄に逢いとうはないか


真砂は首を横に振ろうとした。
だが体はもう動かない。


『もういい、早う終わらせておくれ』


―  ここへ兄を呼んでやろう


『やめて、やめておくれ』
『もういい、もう、終わらせておくれ』


言おうにも、呻き声ひとつ出ない。
冷たくなった体は、身じろぎさえ出来なかった。
もう自分がどこを向いているのかも、自分の手足がどこにあるのかさえわからない。


―  ああ、もう、私は死んだのだ


そう理解すると、真砂は、返答をあきらめた。


―  終わったのだ。やっと…


途方もない悲しさが胸を塞いだ。
ほんの一日、二日前のことだったが、真砂は自分の胸の狭量さを悔やんだ。
自分で火を点け身の内に滾らせた、醜い悋気を恥じた。


―  あの時、正之助の手を振り払わなければ…


―  私が死んだと知ったなら、乱丸は悲しんでくれるだろうか?
   いや、知られぬ方がいい。


遠くで、乱丸が自分の名を呼ぶ声が聞こえた。


―  ああ、追うて来てくれた、御ちゃん…


最期に乱丸の声を聞くことが出来た。
わずかばかりであったが願いが叶ったことに、真砂はようやく涙を零した。


―  御ちゃん、正ちゃん、かんにんえ


思えば、乱丸にも正之助にも、何一つ恩を返してこなかった。
悔いても悔やみきれないが、こうなってしまったからには、どうにもならない。
心ばかりだが不孝を詫びながら、真砂は心を決めて己の身体を棄てた。




気付くと嘘のように痛みは消えていた。
真っ暗な闇の中に更に深い漆黒の何かが蠢いていた。
だが真砂は不思議と恐ろしいとは思わなかった。
それは近付いてくると、腕を伸ばし真砂の首を抱き、優しく耳元で囁いた。


―  真砂、乱丸に逢わせてやろう


『ほんとうに?』
『お前はだれや?』
『なしてこないな暗がりに居よる?』




 ◇ ◇ ◇


―  あの時、何故返事をしてしまったのだろう。


あの日から、あの瞬間を悔いない日はなかった。


―  あの時、濘の名を聞きさえしなければ…







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※ 作中で、一部、差別的とみられる用語が使用されていますが、
  作品の設定上置かれた時代から、当時一般的に使用されていた用語であったと見做し、
  表現上あえて使用いたしました。
  作者にそれ等を侮辱する意図はありませんので、ご容赦ください。


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 次回更新は、本稿更新 翌日 12:00 です。 
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