陰蝕の鬼 - 四拾七 -



ただ、恭一郎を見上げ、恭一郎の出方を待っている。


「そのようなことが…」


恭一郎は、まだ微睡みの中に居るようだった。
何一つ考えが纏まらなかった。


「恭一郎さま、お役人に、お届けになりますか?」
「それとも、この場でお手打ちになさりますか?」


そう言った時さえ、真砂の声音は変わらなかった。
恭一郎を透かしてその向こう、どこか遠くを眺めているようだった。


咄嗟に恭一郎は膝を折って、真砂の前に跪いた。
真砂の真意が知りたい。
その一心で恭一郎は、本能的な警戒心をかなぐり捨てた。
遠くを見つめる真砂の視界に割り込むようにして、
恭一郎は、改めて訊き返した。


「では、二ヶ月前、妙法山の御堂で私が遇うたのも濘?」


「左様でございます」


真砂は消え入りそうな声で、だがきっぱりと言い切った。


「昨夜遇うたのも?」


「左様です」


「では、昨晩、私が拾った手斧は?」


二人の目線がかち合った。
恭一郎は更によく見ようと、真砂の目を覗き込んだ。
鳶色の瞳が瞬いていた。
真砂は、顔を強張らせたまま、視線を外すことなく小さく頷き返した。


己の心の臓が竦むのを、恭一郎は感じた。
ずしりと重い石が、胸にめがけて落ちてきたかのような痛みだった。
咄嗟に上げそうになった呻きを懸命に飲み込み、
恭一郎は陸に上げられた魚のように口で息をした。


―  嘘だ。


ただ一言が、頭の中を繰り返し駆け巡った。
何か言葉を発そうにも、口を開ければそれが外に出てしまう。
恭一郎は、歯を食いしばり俯いた。


真砂はそれっきり、何も言わなかった。
二人は暫くの間、そうして膝を突き合わせたまま座していた。
どれくらいの間をそうしていたのかはわからない。
恭一郎がようやく自分の膝先から目を上げた時、
自分を見下ろす真砂と目があった。


―  ちがう


逆髪の男と同じ顔、同じ眉、まぶたの形、
だが逆髪の男は獣の眼をしていた。
真砂のそれとは違う。


―  違う。これは真砂どのだ。人の目だ。
   鬼などではない。
   今、自分の目の前にいるのは、人なのだ。


恭一郎は、強くそう思い直した。
そして、声を潜めて早口に言った。


「いいえ、私にはわかります。たとえ濘が悪鬼だとしても、
 真砂どのは、決して鬼などではございません」
「真砂どのが人ならば、仮に私が、ここで役人に届けようとも、誰も信じますまい」
「昨夜のあれは、真砂どのには関わりのないこと」
「誓って誰にも申しません」


それだけ告げると、恭一郎は足早に楽屋を出た。
これから何をしようというのではない。
ただ、居た堪れなさに押しつぶされそうで、その場を去るより他になかったのだ。
恭一郎は、自身を落ち着けるための場所が必要だった。


狭い廊下に一歩踏み出すと、水から上がったばかりのように、ようやく一つ、息をした。
ふと視線を感じて目を転じると、茶屋から暖簾越しに、乱丸がこちらを覗っていた。
その脇には、比呂と正之助も居る。
いつもなら誰彼なしに愛想よく何事か声を掛けてくるところだったが、
この時は、目を合わせたきり誰一人声を発しなかった。
一番奥にいた正之助だけが、僅かばかりに気まずそうな視線をくれた。


それを見て、恭一郎はようやくすべてを理解した。
彼等は恭一郎からこれを隠していたのだ。
親しげに振る舞うことで、恭一郎の様子を伺い、
巧妙に嫌疑の目を躱していたのだと。
今しがた恭一郎が真砂から聞いた話のすべてを知りながら、
その隠し事に加担していたのだ。
今、彼等にとって恭一郎は、真砂を、そして自分達、
この雀羅座を脅かす者でしかない。
その現実に直面した恭一郎は、暗がりに突き落とされるような悲しみを感じた。


無言のまま、乱丸に小さく会釈し背を向けると、足早に裏手に向かった。
途中、行き過ぎる姿が見えたのであろう、小屋から良太が自分を呼ばう声が聞こえたが、
恭一郎は振り返らなかった。





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 次回更新は、本稿更新 翌日 12:00 です。 
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