陰蝕の鬼 - 四拾五 -



 ◇ ◇ ◇


日はすでに高くなっていた。
番所を出た恭一郎は、一足飛びに茶屋に向かいたかったが、
『用心のためだ』 一旦、屋敷に戻った。


家人に気付かれぬよう、勝手口から忍び入り、濡れ縁越しに自室に戻ると、
手早く羽織だけを換えて屋敷を出た。


なるべく人目につかぬようにと心掛けても、恭一郎の巨躯では叶わない。
できる限り大路を避け、人の少ない通りを縫うようにして茶屋に向かった。
川沿いの小路から茶屋の裏口に周った。
常ならこの刻限には、茶屋を開けている。
皆、表の茶屋に出払っており、小屋は無人の筈だった。
だが、裏手の戸口に立ってみると、今日に限っては生活臭らしい人の気配があった。


―  本日は茶屋は休みのようだ。

恭一郎は思った。


昨日の良太の怪我のことがある。
正直なところ、恭一郎はこの時、
出来ることなら誰とも顔を合わせたくないと思っていた。
昨夜の麻痺の残る頭で、平静を保てる自信がなかった。
この先、自分が何を言い出すかわからない、そんなことをぼんやりと考えていた。


―  それでも、なんとしても真砂に会わねばならない。
   会って訊かねばならない。


恭一郎は、重い踵を引き摺りながら、木戸を開け、庭に入った。
小屋の対面には、塀を隔てて隣と共用の井戸がある。
昨晩から一睡もしていない。
井戸の汲み水で顔を拭った。
小屋からは、老人と良太が何事か話す声が、ところどころ聞こえてくる。
様子を伺う限り、他の面々は茶屋にいるのだろうか、恭一郎は考えた。


小屋を通さず縁側から廊下に上がると、そのまま茶屋に向かった。
茶屋からは、乱丸達の声が漏れ聞こえてくる。
手前に納戸と、その向かいに並んだ狭い楽屋が双つ。
小屋に近い手前は常なら正之助が使っている。
その先に、舞台と壁一枚背中合わせに、恭一郎が初めてここを訪ねた時、
真砂達がいた部屋がある。
いずれも戸がなく開け放たれた状態だった。


二つ目の戸口に立った時、恭一郎は胸を突かれて立ち竦んだ。
楽屋の一番奥、明り取りの窓を背に、
真砂がいつものように床几を置いて戸口に向かって座していた。
藍染の浴衣に綿入れを羽織っただけの簡素ななりも、楽屋にいる時のいつもの姿。
だが今日は、洗い髪もそのままに、白い髪をその背に垂らしている。
その様は、昨夜見た逆髪の男と同じく、先の方にいくほど
ぜんまいの如くにくるくると逆巻いており、
朝の陽の光を浴びて、煌々と燃え上がって見えた。
遠目には、昨夜の逆髪の男と瓜二つ。
いささか予想はしていたが、目の前にある現実に恭一郎は愕然とした。
だがその半面で初めて見る真砂の隠さぬ姿に心奪われてもいた。


「恭一郎さま、お待ちしておりました」
「どうぞ、お入りくださいまし」


真砂は目を伏せたまま、小さな声で呼ばわった。
促されるまま、恭一郎は楽屋に入るも、
真砂を前に容易に膝を折ることが出来ない。
自分で意識すらしていなかった生理的な警戒心に、恭一郎は酷く狼狽した。


―  これではまるで真砂どのを疑っているようではないか。


「真砂どの…」


気まずさに思わず声を掛けたが、次の言葉が見当たらない。
それを見透かすように、真砂は目線を上げて恭一郎を見返した。


「昨夜、濘にお遇いになられたのでございましょう」


真砂の声は、予想を超えた鋭さで、恭一郎の胸を抉った。





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 次回更新は、本稿更新 翌日 12:00 です。 
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