陰蝕の鬼 - 参拾六 -



◇ ◇ ◇


茶屋の隅に座って稽古を眺めていると、
表の番台を片付けていた老人が恭一郎の傍にやってきた。


「恭一郎さまは、この所、えらいお静かですな?」


小さい身体を丸めて、恭一郎の傍らに並んで座った。
そうして見ると、老人は恭一郎の座丈の半分ほどしかなかった。


「私はそれほど煩そうございましたか?」


「いえいえ、この所、えらい、しょ気返ったはるさかい、
 なんぞ気掛かりでも、お在りかと思うただけどす」
「余計なこと言うてしまいましたかな?」


老人は恭一郎に、にこにこと笑いかけた。


「いえ、そのようなことは…」


そして、ふと、恭一郎は老人に目を向けた。
老人ならあるいは知っているかもしれない。


「爺様、もしや『御ちゃん』という御仁をご存知か?」

恭一郎が尋ねると、意外にも 「へぇ、知っとります」 あっさりと答えた。


「それはやはり上方の…上方の御方でございましょうか?」


そう言うと、老人は少し考えるような素振りを見せた。


「はあ、まあ、上方の人かっちゅーたら、そうどすわな」


「それは、どの様な御方なのでしょう?」
「今はどちらに?此方にお通いになっているのですか?」


「どちらにて…はあ、まあ、言われましても…」
「それ、そこ、御目の前に居たはります」


老人はのんびりと言った。


恭一郎は舞台の上を見返した。

舞台の上には、乱丸、正之助、比呂、真砂が居た。


「…比呂どの、で、ございますか?」


「いえいえ」


老人は面白がっているようだった。

次の瞬間、恭一郎の頭の中で、稲妻のように何かが光った。


「…まさか乱丸どの?!」


恭一郎が驚愕と共に搾り出した声を、老人は事も無げに肯定した。


「へえ、そうにございます」


乱丸は確かに、一座にとっては頼りになる気の好い男ではある。
だが乱丸と言えば真砂が兄、その上なにより、正之助の念者でもある。
衆道において、兄分と弟分の関係は常にひとつがい。
兄分が弟分を2人持つに至ったり、そしてそれが実の弟などと言うことは、
まかり間違ってもあってはならぬ事の筈。


「…乱丸どのは、兄上ではございませぬか…」


恭一郎が誰に言うともなく呟き、後の言葉を失っていると、
その様子を見て老人は言った。


「恭一郎さま、さては真砂さまに、袖にされましたな?」


虚を突かれて、恭一郎は咄嗟に老人を見返した。
相変わらず、老人は暢気に笑っている。


「…何故それを………」


恭一郎は顔から火の出る思いがした。

確かにここが座員は、家族も同じ。
一つ屋根の下で四六時中行動を共にしている者達だ。
仮に恭一郎の真砂への告白を、他の座員達が知っていたとしても不思議はない。
しかし、乱丸、正之助、いずれに知れていたとしても、
ここ数日、座員の恭一郎に対する態度は、いつもと変わらぬものだった。
それに真砂もそういったことを他言するようにも見えず、
故に恭一郎は、誰にも知れていないと思っていた。
知られていて尚、皆があの態度だったならと思うと、恭一郎は居た堪れぬ気がした。
だが老人は、恭一郎の言葉にならぬ懸念を笑い飛ばした。


「あれは方便にございまするよ」
「真砂さまがお断りする時の常套句どすわ」

「ほんまのこととは違います」


老人は、最後の言葉を勿体ぶって歌うように言った。


「それでは、念者が居られるというのは?」


「居てはらしまへんけど」


恭一郎は、一瞬、心が浮き立ったが、すぐに思い直した。


―  だが断られたことに変わりはない。


「まあ、真砂さまはあの通り、控えめなお方どっさかい、
 そう一足飛びに恭一郎さまのお望みになるようなことには、
 ならしまへんやろな」


老人は、恭一郎の目を覗き込むようにして、意味ありげに笑った。


「ご機嫌を、ようとらはることどすわ」
「相手はその辺の、板切れや、石ころやおへん」
「真砂さまは、気のお優しいお方どっせ」

「ご機嫌を、よう、とらはったらよろし…」


恭一郎は神妙な顔付のまま、あいまいに会釈した。





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 次回更新は、本稿更新 翌日 12:00 です。 
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