陰蝕の鬼 - 参拾五 -



◇ ◇ ◇


良太から、正之助の念者にまつわる話は聞いていた。
正之助は今年、十八、と聞いていた。
あと一、二年もすれば一般的には、おおっぴらに念者が居る、というような歳ではなくなる。
良太の話は、今より数年前のことだったが、正之助はその頃からすでに、
ほどほどには名の通った役者であったらしい。
念者の名乗りを上げる者も数多く居、商人、武家の区別なく、
それこそ競って正之助の身なり、拵えの世話を焼きたがったという。
毎日のように正之助の許に葛籠が届いたという。
その頃、良太はまだ幼かったが、それでもその時の賑わいは、
ことさら印象に残っていると言っていた。


「一回なんかな、若いお武家はんがな、通りの真ん中で、
 『想いが遂げられへんねやったら死ぬー』言うて、大騒ぎしはってんで」


良太は、その時の出来事を、おもしろおかしく恭一郎に語って聞かせた。


「そしたらな、正ちゃんが、お武家はんの刀を指して
 『したら、そこが長物をこちらへ』て、言うて、
 懐から抜いた懐紙をお武家はんに、ぽん、と投げて、
 『腹は、その脇差で召されよ。介錯は、僭越ながら、この正之助がつかまつる』
 って、言うたんやで。大通りの真ん中で!」

結局、その後の顛末は、店の前での殺生沙汰は困ると、
慌てて飛び出してきた商人の仲介で収まったということだった。

この話を、良太は正之助の武勇として、ことさら鮮明に記憶しているらしかった。




良太の話を聞きながら、恭一郎はその場面を容易に思い浮かべることができた。

年の頃、十四、十五、今より更に可憐であったであろう正之助が、
若い武士を袖にする。
あの花のようなかんばせを、つっと上げて、高くよく通る声で言い放ったに違いない。
あたかも芝居の一場面のようである。
武士の想いには答えられぬから、死にたいというなら今この場で死ね、
というのである。
いかにも果断な性分の、正之助らしい話であった。


だが最終的に正之助が念者に選んだのは、同じ芝居小屋の端役者、乱丸だった。


恭一郎は、その話を、奇妙に納得がいくような、いかないような、
不思議な感慨を持って聞いていた。
今、正之助が雀羅座と、全てを共にしているのも、それが一番の理由らしかった。




だが、そういう話を聞く中でも、真砂の話は聞いたことがない。
良太と真砂は歳も近く、二人の間には他の座員たちとは、
また違った親密さがあったが、真砂の念者があることを
匂わせるような物言いは一度もなかった。
恭一郎には、それが一番の感心事であったが、幾度となく良太に水を向けても、
それらしい話を聞くこともなければ、良太が意図的に隠している素振りもなかった。


『御ちゃん』とは、恭一郎が初めて聞く呼び名だった。

これまで他の座員からも、良太からも、この名が上ることは一度もなかった。
以来、恭一郎は数日を悄然として過ごした。
それでも茶屋へだけは、せっせと通い続けていたが、
あの時、真砂が言い放った言葉は、ことさら澄んだ響きを伴って、
数日に渡って恭一郎の耳の中に留まっていた。





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 次回更新は、本稿更新 翌日 12:00 です。 
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