陰蝕の鬼 - 壱 -




峠の道を男が一人歩いていた。
年若く、身の丈は六尺余。
身なり良く、纏う着物も、その上にある顔付も、どことなく育ちの良さが見てとれる。
腰に差した刀は、柄まで数えれば三尺を越える大物だった。
一度でも男を見かけたことがある者ならば、必ず覚えがあるという、
洛中きっての偉丈夫とも称される男だった。
宮部恭一郎、歳は弱冠ひとつ手前。
未だ仕官の経験のない、一介の浪人に過ぎない。


時は、承応六年長月、酉の刻。
恭一郎は、母の名代で妙法山にある常真寺へ飢餓供養に赴いた帰りだった。
まだ日は高かったが、峠の道はすでに人気が絶えていた。
この時分にこの様な辺りに居たならば、洛中に着く前に日が暮れている。
秋の日は暮れ易い。
灯り一つない山道を、なんの頼りなく敢えて歩きたがる者はいない。
家を出たのが昼八つとあれば、必定この刻限になってしまったが、
恭一郎はさほど急いてはいなかった。


道なりに細い辻をひとつ曲がったところで、不意に足元が暗がりに包まれた。
もう日が暮れたか、あるいは山の陰にはいったかと、目を上げるも何も見えない。
夜に似た闇の濃さに、恭一郎は驚き、辺りを見渡した。
恐らく自分の行く先であろう道の、墨を落としたような暗闇の果てに、
布地を透かして見た様な照柿色の太陽が、
未だかつて見たこともない巨大さで、ぽっかりと浮かんでいた。
その太陽を背にして、誰かが佇んでいるのが見える。
1人きりだった。
奇妙なことに、背後に浮かぶ太陽の他は明かりひとつない闇の中に、
自ら発光しているかの如く、その人影だけが白々と浮かび上がって見えた。


―  迷い人か?


自分と同じく、この暗がりに、うっかり紛れ込んでしまったのかもしれない、と恭一郎は考えた。


―  ならば、さぞかし難儀であろう。


初めて遭遇する怪異であったが、恭一郎は動じてはいなかった。
否、仮にも独りであったなら、多少なりとも戸惑いはしただろうが、
自分と同じ境遇の他人が居るとなれば、そちらへの同情の方が勝っていた。



―  人が立っているということは、足元は見えずとも、そこまでは道が通っているということであろう。


恭一郎は躊躇うことなく、その人影を頼りに歩を進めた。


―  それにしても、この暗がりに人の姿がはっきりと見えるというのは奇妙だ。
    あそこまで行けば、日の光が差しているということだろうか?


対する相手との距離は十間ばかり。
遠目には小柄に見えたが、近付いてみると、被衣で頭上を隠してはいるが、
背丈からすると男であろう、若衆と見てとれた。
艶やかな染め振袖に鹿の子繻子の後ろ帯、纏う着物の華やかさ贅沢さ、どことなく漂う趣の良さ。
身なりだけ見れば、どこかの大店か名家の子息と見てもおかしくない。
だが異様なのは、その頭部だった。
遠目にも青白く光る肌に、朱を落としたように赤い口、
闇に浮かび上がる白い面に載る髪は白く、狂い獅子の鬣の如くきりきりと逆巻きに巻き上がり、
被衣を押し上げ、宙空を独りでに漂っている。
近付いた恭一郎を認めて、つっと上げた眼は、日向の猫の目のように縦長く、煌々と輝いて見えた。


―  獣か?鬼か?!


恭一郎は、咄嗟に腰に差した刀の柄に手をかけた。
鬼か、もしくは妖魔の類か、それは恭一郎の面に目を据えたまま、
困惑したように小首を傾げてみせた。
そして身体を恭一郎に捩じ向けると、舞でも舞うかのような足取りで、
一歩二歩、と歩み出し、十間の距離をどう移動したのか、
次の瞬間には恭一郎の鼻先わずか三寸手前にそれの顔があった。

白い、小振りな瓜実顔に、憂いを含んだ涼しげな目元。
瞳は澄んだ琥珀のようだった。
人と違いこそあれ、造作だけ見れば美しく整った顔立ちといえる。
それに遠目にも奇異に見えた白い髪。
だが、それらが額から生えあがるさまは、人のそれと何ら変わらない。
唯一つ、猫の様に縦長い瞳孔だけが、獣じみて見えた。


それは、流れるような動きで己の袂を掻き寄せると、よく反り返る細指を、
つっと天に向けて指し、口元に押し当てる動作をした。


―  他言するなということか?


恭一郎は、刀にかけた己が手を、すでに忘れてしまっていた。
対するそれは、帯刀していない。
しかも、恭一郎の前に掲げた手は人の手も同様で、節くれだっても爪鋭くもない。
女の手の様に骨細く、白く小さく華奢だった。


とはいえ、先刻、十間の距離を一瞬で縮めてきた相手である。
恭一郎はそれの動作を注意深く目で追った。
否、その実は目が離せないでいたのだ。
それの身のこなしは、ひとつひとつが舞の所作に似て、
たおやかで艶だち、匂い立つような媚態があった。


それは、花弁に似た唇を息を吹きかけるように、すっと窄めると、
手を返して恭一郎の唇にそっと押し当てた。

恭一郎は身動ぎすら出来ずにいた。
恭一郎の心中にあるのは、恐怖より寧ろ驚きだった。

狼狽する恭一郎を面白がりでもするように、それは恭一郎から手を離すと、
次に首を伸ばして口付けした。

ふわっ、と甘い香りが恭一郎の鼻先をかすめた。
触れたか触れないかという、僅かな接触だった。

そしてそれは、すぐさま身をかわし、恭一郎の背後に向かって行き過ぎた。

束の間の出来事だった。

恭一郎はすぐさま後ろを振り返り、それの姿を追ったが、
見渡す限りにどこにも見当たらない、忽然と消えていた。






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 次回更新は、本稿更新 翌日 12:00 です。 
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