陰蝕の鬼 - 七拾壱 -

言い咎めるのとほぼ同時に考えるまでもなく身体が動き、恭一郎は木戸を潜り抜け庭に分け入っていた。恭一郎の声に真砂は飛び上がらんばかりに驚き、一瞬、身を隠す素振りを見せたが、すぐ間近に恭一郎が迫っているのを見留ると、観念したらしく、ぎこちなく顔を上げた。零れ落ちん程に目を見開いている。心底驚いているようだった。真っ白な肌に纏わりついている髪は、雫を滴らせていた。暗がりにも血の気の失せた青い面が強張って...

陰蝕の鬼 - 七拾 -

 ◇ ◇ ◇濘に遇った日ののち二日、恭一郎は雀羅座を尋ねるも、真砂に会うことは叶わなかった。『どうもお身体の調子が悪ぅおっさかい、臥せったはるんだすわ』申し訳なさそうに言う老人に、恭一郎は土産を託けることしかできなかった。あからさまに避けられている、そう思えて落胆したが、本日、日の暮れも近付いた頃、良太の計らいで真砂に会うことが叶ってみると、意外にも臥せっているというのは、方便ではなかった。狭い納戸...

陰蝕の鬼 - 六拾九 -

「卑怯なやり方だったとは思っています、 ですが、間違っていたとは思いません」「真砂どのを蔑ろにするつもりがあったわけでは無いのです」真砂の目線を追いながら、恭一郎は回らぬ頭で釈明した。だが、真砂はそれを切り捨てた。「いいえ、間違っておいでです」「恭一郎さまは、悪手を打っておられます」「故に話の通じる相手ではないと申し上げたのです」いつになく真砂の口調は厳しかった。力なく細いながらも、鋭く恭一郎を鞭...

陰蝕の鬼 - 六拾八 -

 ◇  ◇  ◇恭一郎は、まんじりともせず白い紙面に向かっていた。筆は一向に進まない。紙面を丹念に目で辿ろうと努めても、いつものようには容易く像を結ばなかった。絵描く筈の真砂は眼の前に居る。見た通りに描けば良い。逸る心に鞭打つも、筆脚は駆け出す気配を見せなかった。恭一郎が雀羅座に赴いたのは、昼過ぎだった。常よりは何時も遅くはあったが、相変わらずの恭一郎の訪れを、雀羅座の者達はいつも通り屈託なく迎え入...

陰蝕の鬼 - 六拾七 -

「その様なお顔をなさるものではございません」「私とて、木の股から生まれたわけではございませぬ」呆れたように濘は言った。「私が生まれたのは、寂しく貧しい山間の村でございました」「まだ朝廷の権威があまねく届く前のことにございます」「私の父親は、その村の地霊を祀る神主にございました」「その村では、作付きが衰え、飢饉が迫ると、村の家々を周り 二つ目以降に生まれた勘の鋭い十か十二の頃の子供を集め、 地霊の供...

陰蝕の鬼 - 六拾六 -

「話がしたいのだ」返事は無かったが、恭一郎は尚も呼ばわった。「濘!」「居るのであろう」「姿を現せ」辺りは静まり返っていた。「濘!」現れるまで呼びかけるつもりだった。更に何度か繰り返し呼びかけた時、不意に背後に気配を感じて、恭一郎は振り返った。人気のない通りの真中に、周囲の闇より更に濃い黒い塊が現じたかと思うと、それが急にめくれ上がり、中からぼんやりと白く霞んで人の姿が浮かび上がった。「この様な夜陰...

陰蝕の鬼 - 六拾五 -

 ◇ ◇ ◇恭一郎は、暗がりに微かに浮かぶ木塀越しに、借家の様子を窺った。月はなく、灯りの絶えた母屋は、輪郭すらも怪しかった。恭一郎は焦っていた。探しているのは濘の姿だった。京の夜陰に紛れた殺人は、依然途絶えてはいなかった。これほど頻繁に同様の事件が続いては、さすがに夜半に目立って出歩く者の姿も絶えてはいたが、それでも数日の内に一人、二人と犠牲者が出る。そしてその範囲はいまや洛中のみならず、洛北、洛...
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