陰蝕の鬼 - 参拾七 -

◇ ◇ ◇以来、恭一郎が乱丸、正之助、真砂をよくよく注視してみると、それは恭一郎が考えていたほど単純なものではないらしいことに気付いた。まず、乱丸が真砂を猫可愛がりに可愛がる様は、ある種、異様であった。何においても真砂が優先、他の事は二の次、三の次で、それは正之助に対してもそうだった。乱丸と正之助は、兄分、弟分の関係。乱丸は正之助の念者であったが、乱丸の正之助に対する扱いは、真砂のそれと比べても、些...

陰蝕の鬼 - 参拾六 -

◇ ◇ ◇茶屋の隅に座って稽古を眺めていると、表の番台を片付けていた老人が恭一郎の傍にやってきた。「恭一郎さまは、この所、えらいお静かですな?」小さい身体を丸めて、恭一郎の傍らに並んで座った。そうして見ると、老人は恭一郎の座丈の半分ほどしかなかった。「私はそれほど煩そうございましたか?」「いえいえ、この所、えらい、しょ気返ったはるさかい、 なんぞ気掛かりでも、お在りかと思うただけどす」「余計なこと言...

陰蝕の鬼 - 参拾五 -

◇ ◇ ◇良太から、正之助の念者にまつわる話は聞いていた。正之助は今年、十八、と聞いていた。あと一、二年もすれば一般的には、おおっぴらに念者が居る、というような歳ではなくなる。良太の話は、今より数年前のことだったが、正之助はその頃からすでに、ほどほどには名の通った役者であったらしい。念者の名乗りを上げる者も数多く居、商人、武家の区別なく、それこそ競って正之助の身なり、拵えの世話を焼きたがったという。...

陰蝕の鬼 - 参拾四 -

◇ ◇ ◇恭一郎にとって、真砂は依然わからぬままだった。かれこれ茶屋に通い出して、一月余りもあろうというのに、交わした言葉は数えるほど、それも恭一郎が何事か尋ねた時のみである。雀羅座の他の面々との親密さは、顔を合わす度に増していくように感じられたが、恭一郎と真砂の間合いは、一向に縮まる様子がなかった。真砂は、他の役者達に比べると、役者というにはあまり役者らしくない。元来から控えめで大人しい性質のよう...

陰蝕の鬼 - 参拾参 -

◇ ◇ ◇翌日、恭一郎は、一つ目の姉との遭遇を避けるべく、朝も明け抜け早々に起き上がり、裏口から素早く屋敷を抜け出した。それまで朝一つ、昼二つ、三公演を稼いでいた茶屋は、日が落ちるのが早くなってから、朝二つ、昼一つに変わっていた。それでも朝から茶屋に詰めるにしては、今この刻限では早すぎ、さりとて、するべきこともなく、方向だけは茶屋に向かいつつ、川縁ででも時間を稼ぐかと恭一郎は考えていた。屋敷から茶屋...

陰蝕の鬼 - 参拾弐 -

「えらい珍しいもんを、持って来てくれはったんどっせ」老人が体をずらして、比呂を促した。比呂も桶の傍に寄り、中を覗き込み声を上げた。「ぉお、これは、生きとりますやないか!」「これはまた、大層なもんを、えらいおおきに」乱丸が顔を上げ、恭一郎に向き直って、改まって頭を下げた。「いえ、お口に合いますかどうか…」そうこうしていると、茶屋から正之助が戻って来、部屋に入るなり目敏く恭一郎を見止め、「お晩どす」と...

陰蝕の鬼 - 参拾壱 -

◇ ◇ ◇漸く斉藤から解放されたのが、昼八つ半。今から茶屋に向かっても、芝居は終わる頃しか見れない。行って終わりだけ見ても、それはそれで悔しく思うだろう。だが恭一郎は茶屋に向かっていた。今日に至っては、是非とも行かねばならぬ理由があった。手には大きな桶を抱えている。茶屋に着くと、そのまま裏手にまわり、庭に入った。狭い庭の入り手に置かれた縁台の一角に座して、芝居が終わるのを待つことにした。七つの鐘が鳴...